伊勢木綿の略年表はこちら
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奈良時代 大和朝廷より錦織の技術が伝わる。
室町時代 綿の種が伝来、伊勢の地方は土、水、天候、冬場の肥料鰯に恵まれ一大産地になった。
17世紀以降 伊勢の「白雲織(紺無地)」は「伊勢晒」と共に有名になり、縞模様も織られるようになって、伊勢の国からきた木綿つまり「伊勢木綿」と称し商人によって、江戸大伝馬町の伊勢店で大量に扱い、販路は遠く東北地方北海道にも及んでいた。
明治20(1887)年 伊勢織物業組合が結成され、質の悪い織物を取り締まり、織萌黄(おりもえぎ)といった独創的な製品を考案し、販売の拡大を図った。さらに、伊勢染生産組合を組織し、硫化染に着手し、仕上がりの良い物を生産するに至った。
  伊勢という地において木綿産業は、他の地域(三河、河内等)と同様に、その気候、水、土、労働力、運送と江戸時代当初より恵まれ、飛躍的に その生産量を伸ばし、特に明治に入り国の政策、及びトヨタ式織機等の革新織機にもより一大産地となりました。
  しかし、戦後化学繊維の発展、生活の洋風化、及びその製造業者が零細であり時代を読む力がなかった為、廃業するところがたくさんありました。また、地元でも、つい50年程前まで、たくさんの織物工業があり、一大産地であったことなど、だれも知らないのが現状です。
綿花
当社について
江戸時代中ごろに紺屋を始め、江戸時代終わり頃出機から織り機を並べ近所の人に働きにきてもらうようになったそうです。明治の中ごろに、豊田佐吉さんから力織機を買って増産に勤め、現在でもその当時の機械を使っております。
一時、津市、磯山、伊賀と3工場を持ち派手に商売をしていたそうですが、現在ではその面影も有りません。