伊勢木綿の略年表
1608(慶長13年) 藤堂高虎津藩城主となる。
1625(寛永2年) 田中次郎大夫、江戸に進出する。
1635(〃12年) 川喜多久大夫、江戸大伝馬町に木綿仲買の店を開く。
1645(正保2年) 田中(田端屋)次郎兵衛名義で木綿仲買となる。
1664(寛文4年) 幕府は公文で織物の長さを決める。
1.布木綿の儀一反に付大工のかねにて長さ3丈4尺幅1尺4寸たるべき事
1689(元禄2年) 奢侈の制令を出して銀子百目以上の高価な呉服類の販売を禁じている。
1698(〃11年) 藤堂藩、木綿問屋4軒・仲買55戸を認める。
1699(〃12年) 伊勢晒は「勢陽雑記」に津城下名産の一つとして、晒木綿の名がみえる。
1702(〃15年) 奢侈の一層厳重な取り締まりの令が出る。
1705(宝永2年) 「江戸日本橋太物問屋中仕法並み由緒書」に津の商人4人の名前がみえる。
1716〜1736(享保年間) 江戸大伝馬町に伊勢商人の著名な大店舗70軒みられた。
1772(安永元年) 富田謹三氏木綿業をはじめる。
1781〜1788(天明年間) 伝承として、歌舞伎の市川団十郎に伊勢木綿の亀甲縞をきせて好評をえる。
1789〜1800(寛政年間) 津の綿花の取引が無くなり、問屋等自然廃業となる。菓木方の「郷中仕法帳」によると、木綿織が尽く松阪問屋に集中して松阪木綿として販売される。
1804〜1817(文化年間) 藤堂藩主高虎は自ら綿服を常用して大倹約令を出す。
1865(慶応元年) 富田金七木綿業をはじめる。
1868(明治元年) 長谷川・小津・田中・川喜多家は新政府より会計官御用掛を任命される。
1869(〃2年) 伊勢織物業組合を組織して粗製乱造の防止策とした。(組合は染物改良組合、機業団体日の出組、販売業者団体旭組が合流)
1872(〃5年) 黒川重兵衛氏木綿業を始める。
1874(〃7年) 牧野房方氏木綿業を始める。
1874〜75(〃7・8年) 絹糸を入れた糸入伊勢縞を始める。
1875(〃8年) 木綿組合ができる。
1877(明治10年) 松阪卸売りを廃して伊勢木綿の名のもとに直接東京の問屋と取り引きする。
1879(〃12年) 前田倉吉氏木綿業を始める。
1889(〃22年) 大森吉右衛門氏白木綿業を始める。
 〃   (〃  〃) 臼井安太郎氏白木綿業を始める。
1890(〃23年) 伊勢木綿萌黄織を市場に出す。
1894(〃27年) 松本家木綿業を始める。
1897(〃30年) 森川市兵衛氏木綿店を始める。
1898(〃31年) 染色講習所を設け新染料の用法を研究する。
1900(〃33年) 伊勢木綿織物講習所を創設して縫法を研究する。
1903(〃36年) 1市3郡の同業者で伊勢織物同業組合を結成。
 〃   (〃  〃) 組合久留米に伝習生を派遣する。
1905(〃38年) 三井物産の紹介で大沢布を朝鮮・満州に出荷する。
 〃   (〃  〃) 広瀬平次郎氏木綿業を始める。
 〃   (〃  〃) 大森吉右衛門・町谷源蔵ら全国の織物産地を視察し伊勢木綿の改良進歩をはかる。
1907(〃40年) 伊勢木綿硫化染料の使用が常となる。
 〃   (〃  〃) 同業組合の提唱で伊勢染生産組合を組織し染色技術の改善をはかる。
 〃   (〃  〃) 富田謹三工場豊田式三八繊機150台をそなえる。
1908(〃41年) 綿を使った綿綟子を造るが需要はすくない。
1909(〃42年) 三重織物生産組合を設けて製品の仕上と整理を共同的に処理する。
1914(大正3年) 第一次大戦の勃発で伊勢木綿の生産が大いに増える。
1915(〃4年) 伊勢木綿の工場で従業者10人以上30戸、10人未満227戸、織元22戸、賃織1072戸みられた。
    (大正年間) 伊勢木綿、縞木綿・萌黄織・納戸織・雑無地・白木綿を織る。
          (〃年) 富田謹三氏伊勢木綿「あさひ木綿」を東京のデパートで販売する。
1927(昭和2年) 世界恐慌で伊勢木綿も打撃をうける。
1943(〃18年) 木綿軍事統制品になる。
1965(〃40年) 後藤家紺屋を廃業する(一身田)。
1969(〃44年) 木谷家織物業を廃業する。
1975(〃50年) 中村家紺屋を廃業する。
        〃 村田家紺屋を廃業する。
1985(〃60年) 松本家織物業を廃業する。
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