2022.11.23
会社案内の修正について
父は廃業するつもりで、ほとんど昔のことは話してくれなかったです。
私は、織物関係者(同業者)、工業技術センター、博物館、手直しさんから聞いたところをうろ覚えでまとめたことが、誤った表現となりました。以降気を付けます。
確かにおかしな表現になっています。
改めて、豊田式織機株式社のページを見ると確かに
明治三十年に豊田式汽力織機を開発し
それ以降、明治38年式小幅用経糸停止装置なし開発
大正になって経糸停止装置付き、Y型をを開発しています。
わたしの推察ですが、明治20年ごろにバッタンという手織りの機械を購入したと思います。その当時臼井忠吉、臼井安太郎が染め屋、絣糸製造に加え織物業も始めました。
機械の名前ですが、Y型だと思っていたのですが38年式だと考えます。
その理由は、経糸停止装置(経糸が切れたら自動で停止する装置)が後付けで付いている。織物関係者や、手直しさんが三八の機械とよく言っていたのです。
もう一つ、確信できる理由は鯨尺で一尺2寸(45,5cm)まで織れます。
戦争中に、供出で出したので買い直しているのは42cmが限界です。
博物館の印刷物で、明治な中ごろに機械を導入とあったのを豊田力織機の購入したと
勘違いしました。
ご理解していただきますでしょうか。
以降、明治の終りか、大正の初めに38年式を導入したと変更します。
バッタンというのは、紐を引っ張るとシャットルが飛びだしてくる
手織りの機械の事です。木製です。
あと、該当の力織機についているパテント番号と綿スフ織物協会の登録番号の写真をお送りします。
綿スフ織物協会に、問い合わせていただくとその由来が判ると思います。
番号は129434です。
弊社の社長が、三重県綿スフ織物組合を解散した時に綿スフ織物協会から脱退しています。
不明な点はお問い合わせください 臼井
現在明治時代に購入した38式力織機は、10台あります。戦後供出したため豊和工業より買ったY型20台と
名古屋式織機の10台が動いています。