三重県津市で伊勢木綿を織り続ける織屋ー臼井織布

お知らせ

2023.11.19
この前、見学者さんからどこで色糸を買っているのですかと、質問を受けました。 業者の関係者だったので、ある程度は理解されていると思っていましたが同業屋がほとんどいない、知名度はないので弊社の先祖が昔織っていた物を復元しているだけだと言っているので判っていただけると思っていたのですが。 すべて、色糸は自社の企画です、又柄もそうです。江戸時代末期、明治大正昭和初期の織物業が元気なころに織っていたものです。 そして柄立ては、綛染めの糸を使い、屏風を使用して部分整経です。 目いっぱい使うと画像のようになります。 使う糸も綿を数回撚っただけの単糸を使用しています。ので、経糸には綛の糊付けをしています。最近経糸には撚糸を使うところがほとんどです。手織りでも撚糸を使われていると聞いています。何のための手織りか判りませんが。よって、風合い、手触りは最高です。 乾燥すると、しょっちゅう経糸は切れます。 根気よく、毎日織っていますが見学に来られた方は38年式の明治の機械で織っていますと言っても、なかなか理解されていません。 昔の機屋さんをやっておられた方は、まだやっておるのかと驚いています。 それと毎日掃除をしています。色物を織りますので、白物に綿が飛んで行ってキズになります。白物だけを織っていればあまり気に成らないです。 良く見学に来られた方に説明するのですが、機械の修理は自分でします。38年式だと部品が軽いですが、G型になると専属の手直しさんか、修理専門の業者の方が必要です。構造が簡単で部品が軽いのですべて自分で修理しています。なかなか信用していただけません。毎日使うのでしょっちゅう壊れます。ほとんど、明治のころの構造、部品を使っています。特に、父は商学部出身だったので金属の焼き入れに関する知識が無かったゆえ、フィラーは、針金を曲げて使っていましたが今の部品は焼き入れをして頂いていますので、糸が当たった程度では変形しません。基本的な材料工学、機械工学の知識があれば、それほど難しくはありません。  
2023.09.11
木綿の名前は、河内木綿とか三河木綿と言うように江戸時代に日本橋の木綿問屋で三河の国から来た木綿、河内の国から来た木綿と呼ばれていました。同じように伊勢の国から来た木綿で伊勢木綿と呼ばれていました。決して現在の伊勢市(昔は宇治山田市でした)が名前の由来ではありません。宇治山田市というところは神様がいらっしゃるところで私どもの先祖はそこでは販売せず、街道のお土産として(例えば伊勢別街道沿い)で販売していました。当時、現在の伊勢市での販売はほとんどなく、室町(京都)、日本橋、ドブ池、(大阪)に対する木綿問屋への販売がメインでした。伊勢木綿は伊勢の国の中で細分化をしていました。 桑名縞(現在の益生駅の近く)、富田木綿(四日市市)、神戸木綿(鈴鹿市)、白子木綿、安濃津(津市)、千種織(菰野)などを聞いています。例えば神戸木綿は神戸城の近くで販売していたのですが、生産は伊勢若松の駅の側で生産しておられたと聞いています。実際、私が帰ってきた頃に組合の関係で見学に行ったことがありました。 少しだけ、伊勢福さんを通じて伊勢神宮の近くで伊勢木綿を販売させていただいています。決して神様を利用して商売をするという事はありません。それゆえ、伊勢神宮で見ないとかお小言をお聞きすることはありますが、伊勢商人のスタイルとお考え下さい。   画像は、弊社で織ったかなり昔の木綿です、絣糸がたくさん使われています。
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